投稿日:2008-10-20 Mon
終わっちゃったな、あっという間だったな。音程、音の出だし、
一番気になっていたところは結局安定させることができなかった。
練習中も、出来る時と出来ない時とがあって、
本番でたまたま出来る時に当たることもあるかもなんて
考えていたけれど甘かった。
弾いていて、そこのところは運任せのようになってきたから、
音色を良くすることだけ考えて弾いた。
いつもは私を包むみたいに聞こえてくるみんなの音が、
拡散して飛んでいってしまうのは、実は少し淋しかった。
それはそれとして、みんなでここまでまとめられたことが嬉しかった。
それぞれが家で練習をして、
合わせるときは指揮者がいるわけではないから
みんなで意見を出し合って、
それがああして形になった。
これは本当にすごいこと。
ご指導くださったM先生、
当日第3ヴァイオリンでご参加くださったS先生、
機会を下さり、当日までいろいろとお世話くださった関係者の皆様、
たまたま聴いてくださった方、
どうもありがとうございました。
私の隣で弾いていらしたS先生、
蝶々のようにふわふわと飛んでいきそうに、
とても可憐に演奏していらっしゃったなぁ。
もっとたくさんの人に、聴いてもらえるようになりたいと思った。
もっと聴きたいと思ってもらえるようになりたいと思った。
今度は弾いている仲間だけではなく、
聴いている人とも共有できるようになったら、
弾くことがきっともっと、楽しくなるだろうな。
初めてのお花。
どうもありがとう。

スポンサーサイト
投稿日:2008-10-10 Fri
Pachelbel Canon in D Major。構成
ヴァイオリン 3人
チェロ 1人
ピアノ 1人
ヴァイオリンの方に「同じことばかりでつまらないでしょう」と言われた。
そんなことは(少なくとも今のところ)ない。
あの、音に包まれ埋もれている感じが好きだ。
自分が主役で弾きたかったらひとりで弾けばいい、
それだけのことだ。
今回は全員揃っての初録音。
トラックバック先からぜひ聞いてみてください。
ご意見などもあればぜひ。
表題にある通り、顔を合わせるのがたったの3回目なのに
これだけ合わせられるんだからすごいと思う。
著しく変化の見られた点を簡単に挙げるとすれば
・それぞれが楽譜と自分との対面している世界に孤立しているようだったのが、
壁が崩れ始め、要素が混ざってきた。
・個人で欠点を克服しようと努力をして、
その結果が見事に出ている。
・以前にばらつきがあって話し合った部分が、
それを経て合うようになってきている。
・自分たちの姿がよく見えるようになってきている。
個人の技量なんておいそれとは向上しないようなものなのに、
みなさんすごく一生懸命で素晴らしい。
気になるところもあげてみよう。
・音量が単調
最初の楽器がだんだん増えていくところを越えてしまえば、
あとはほぼ一定。
M先生にご指摘いただいたように、第一、第二、第三ヴァイオリンの
どれかが聞こえやすくてどれかは後ろに流れるようで、という入れ替わりが
もっとあってもいいと思う。
特に最後の20小節くらい(適当、後で数えます)はもう聞く方にしてみたら
真新しいことは何もないのにずっとずっとfで弾きまくるから結構つらい。
fを生かすために、mfやmpをもっと上手に使った方がいいんじゃないかな。
・お互いの音をもっと聞ける
聞きながら弾くことに不慣れな感じ。
ここはちょっとためたいのかな、とか、ここで出てくるな、それっとか、
「息」を合わせるのは自分以外の人がどんなふうに弾いているのか、
知らなければまず無理。
それぞれのいいところを引き立て合うように弾ければ、
合奏としてもっともっと魅力的になるんじゃないのかな。
何だかんだ言っても、どんなにでこぼこでも、
私はこの自分たちの作り出した合奏が愛おしい。
これが今の私たちの音。
4年後にはこれを、どんな思いで聴くのかな。
投稿日:2008-09-12 Fri
いくらレッスンに行っても、自分の技術も変わらないなら言われることも変わらない。
その悪いところが分かっているけれど、解決するにはどうすればいいのでしょうと問えば、
「死ぬほど練習しないと身に付かない。」
練習をしていなかったのなら、練習しようと思うだろう。
しかし散々やった挙句のレッスンでそう言われるものだから、
出口の見えない迷宮に入り込んでしまったように感じる。
「練習はしてるけど出来るようにならないんだよ。」
そう思ってチェロが嫌になったこともあった。
レッスンもそんな調子なら、行っても仕方がないと思い中断。
練習もろくにしない時期が続いた。
毒づいたり、睨みつけたり、無視したり。
そしてしばらく距離を置いてみると、それが自然と恋しくなってくる。
そうして再び弾いてみると、あんなにかちんとくるばかりだった
先生の言葉に、ただただ深く頷くばかりになっていた。
要するに、そんなに簡単にできるようになることじゃないってこと。
道は遠いよ、それでもやるかい。
そんなふうに聞こえるようになってきた。
苦しいなら、それを苦しみ抜くしかないって時がある。
そしてそれを超えることでしか、見えてこないことがある。
楽器の練習って、きっとその繰り返し。
知らず知らずに焦っていた自分に気づき、それを制するような気持ちで練習再開。
レッスンで受け身になりがちだったのを、
具体的にこうしたときのこれを直したい、と積極的に訴える。
本当に全部、できることは試したのか。
前に言われたこと、ネットで得られる情報で改善できはしないか。
もうすべてがいや、みたいな状態からふるいにかけるように、
丁寧にこれができないのはこれのせいだと思う。
自分はこういう練習法を試しているがどうか。
とにかくここだけは何としても克服したい、そのためにはどうすればよいのか。
練習再開後、弾いていたのは音階と運弓ばかり。
課題が進まないから何だ、自分の出したい音を出せるようになることが先決なのだ。
そうやって先生の前で今出来ることをやってみて、
出来ないところに対して質問、教えを請う。
結果久しくなかったほど、実りのあるレッスンが出来た。
<音色>
弓を使い過ぎ。
高い弦と低い弦、また弓が指版寄りか駒よりか、で
使う弓の長さを変えること。
力を抜いて重みを乗せる。
弓を弦にこすりつけるのではなく、弓を弦の上に置いて、
後は力を抜いて弓を動かせば音は必ず出る。
「力抜いて、体重乗せて、はいっ」と先生に掛け声をかけていただくだけで、
「なるほど」となるくらい弦が振動した。
<発音>
低い弦の発音が遅いのは当然。
オーケストラでは一緒に第一音を出す場合、
ヴァイオリンよりチェロが、チェロよりコントラバスが、
少しだけ早く弓を動かし始めましょうと打ち合わせるのだそうだ。
そういうことなら早く弓を動かし始めればいいわけだ、
それが言うほど簡単ではないのだけれど。
<左手>
弓が移弦をすれば楽器に対する角度が変わるように、
押さえる指から出る力の矢印の角度も弦間で変える。
無理に1の指から4の指を押さえようとしてこわばってしまうくらいなら、
1つのポジションの中でも手全体の位置を移動させて手のいい形を保つ。
指の弦に触れる部分は先のところとは限らず、
できるだけ広いところ、肉のあるところを使う。
そうすると指が寝かし気味になり、他の弦に触れそうになる。
その辺りの加減を覚えるには15年かかる、とは先生の話。
<全体>
「手だけで弾いている」と言われて、ああもっと腕とか肩とかから
動かすってことですねと思ったら違った。
もっと体全体を使うのだそう。
右手と左手、どちらにも出てきた「重さをかける」「体重を乗せる」というのは
あながち例えというわけでもないようで。
右手で弓を動かすにしても、力は入れない分腕の重みをそのまま弓にかける。
C線などはそれでも足りないから、左足で楽器を裏から押す。
左手で押さえるにしても体重が乗りづらいのだから、
椅子から立ち上がるくらいのつもりでかける。
これを余計な力を入れずに出来るようにするのだ。
またしばらくは、音階と運弓ばかり練習していることになりそうだ。
投稿日:2008-09-03 Wed
主となる曲はPachelbel Canon in D Major。今日は初めてピアノとチェロ、第一、第二、そして第三ヴァイオリンが揃っての演奏。
とってもとってもとっても楽しかった、気持ちいいことこの上ない。
初めてじゃないのに合奏をするたびに興奮する。
学校の部活動のように頻繁に合わせられないのもまたひとつ、
刺激として悪いことじゃないのかもしれない。
いつも思う。
あのひとりぼっちの地味な練習なんか、報われた上おつりがくるよなって。
そしてもっともっとうまくなりたいって。
前回から改善できたこと:C線の音程取り
Fに#がつくため人差し指と小指をいっぺんにおさえることができず
親指の位置をそれぞれずらして、そのたびF#の後からの音程が
いちかばちかと大変不安定になっていたのを、
何とか人差し指と小指の間隔をいっぱいに開いて
親指をずらさずF#直後のDの音程の精度が上がった。
(まだ完璧ではないし、そこに限らず音程を外すこともある。)
引き続きの課題:発音
音の出だしが曖昧で自分が出したい瞬間から音を出せていない。
ぐだぐだしてせっかくの一体感に乗り遅れてしまう、
非常にもったいない。
本日もM先生に監修にお越しいただき、弾くごとによくなっていくのを
実感できるのは嬉しかった。
楽曲は磨けば磨くほど、自分の中でどんどんと、際限もなく
輝きを増し続けていく。
私の持って行った秘密兵器をみなさんにも弾いていただいたのを思い出して、
みんな持ち楽器を入れ替えて、簡単な曲を演奏してみるのも
楽しいかも、と思った。
やりたいことが増えるばかり、楽しいな。
投稿日:2008-08-30 Sat
CIRQUE DU SOLEILの「ZED」を見てきた。トライアル公演と呼ばれる、リハーサルに観客を入れて
最終の調整をしていく性質のものだったと思われる。
相変わらず人間離れした技を見せてくれる一方で、
「これだけなのか、この人たちは本当はもっとできるはず」と思う場面も多かったので、
本公演に期待したい。
しかしみんなどういうつもりで、何でも構わず拍手するのだろう。
同じCIRQUE DU SOLEILでも毎年お祭りのように
何とか娘が「何とかが来ます」とか宣伝しているような形態ならそれでもいいんだろう。
百歩譲って。
一都市での公演数は限られていて、
例えば日本での公演のために集められたアーティスト達は、
それが終われば解散していく。
だからそれぞれの公演、もしくはその中の場面のひとつひとつに
観客の反応があることは重要なんだと思う。
今回は違う。
その公演のために特別に作られた同じ劇場で、
わずかな修正はあろうとも同じ演目が延々繰り返されていく。
そういう状態のときに、ものすごいことにもそうではないことにも
同じ拍手と歓声が与えられたら、
やっている側は目指すところを見失う。
ほぼ毎日行われる公演でそんな反応が続いたらどうなるか。
やる側はどんどん、「ああこの程度でいいのか」と
パフォーマンスの質を落としていく。
世界中のすごい人たちを舞台の裏にも上にも集めても、
こんな環境ではいいものは育っていかない。
才能の無駄遣いもはなはだしい。
せっかくお金を払ってきたんだから盛り上がって帰りたい、
という気持ちも分からないではないが、
ただ盛大に拍手をして声援を送って
何度もカーテンコールに出てきてもらって心の交流があったなどと満足してはいけない。
この払ったお金に対して、どれだけのものを、あなたたちは見せるつもりなんですか、と
全身全霊で問いかけていくことだけが、本当の意志の疎通につながる。
これからどれだけすごいものを見せてもらえるようになっていくかは
観客のひとりひとりにかかっているのだけれど
そんなこと、誰も考えてないんだろうな。
だいたいこういう公演の場合には、まずはじめに無理をしてでも
世界で最高域に近い人々が集められるため、
開演直後頃よりも後々よくなっていくことはまずない、というのが通説。
その上彼らは独自の情報網を持っているから、
「あそこのショーは楽らしいよ」という感じで
後から来る人間は集まるだろう。
こんなくだらない観客の入る公演で成功だなんて言っても
その世界で通用するものではないから、
才能を持っている人ほど先に抜けていってしまうことにもなる。
この上なく情けなく、淋しい話だ。
私は本公演開幕(10/1)直後にもう一度、
見に行くことを決めているのだが、
もし興味があるなぁと思っている方には
上記のような理由でできるだけ早く見に行くことをお勧めする。
△ PAGE UP