投稿日:2008-07-01 Tue
もちろん誰もが聞き惚れるくらいうまくなりたい。でもここ5、6年くらい、私が何かを練習したり訓練したりするとき
そこにはもうひとつ、別の大きな目的が存在するようになった。
それは「経験」するということ。
-今日は続きが長いです-
プロのアクロバティックアーティストと接するうちに、
自分がどれくらいのスタントをただ見過ごしているのか気づいた。
あまりに人間離れした技術はすごいと思う気持ちは喚起しても、
どのくらいすごいのかということを自分のものさし上で測るのは難しい。
そこに思い至ってからはいろいろな物事が
ただの時間の経過とともに流れていくだけではなく
いちいち自分のどこかに引っかかるような、
ささくれのようなものができた感じになった。
そんな気持ちである時岩の上からたった5m下の川に飛び込んでからは、
映画などで人が高いところから飛び降りるとき、目を離せなくなった。
下から見ているだけでは実際に岩の上に立ったときどれほど高く感じるか、
飛び込んだときの水の衝撃がどれほどのものなのか分からない。
地域紛争のニュースを見るたびに、なぜ神様の違いなんかだけで
殺しあうんだろうと不思議でならなかった。
自分が異なる地域・人種の出身者といざこざを持って初めて、
旗から見たら単なる違いに過ぎなくても
当事者にとってどれほど譲りがたいことであるのかを痛感した。
そもそもその只中にいるときには慣習や文化に違いがあるのだということに
思い当たったり言及したりするのは難しい。
(だから争いごとが生じるのはやむを得ないのだと諦めているわけではなく、
違いを持ったままどう一緒にいられるのかを模索中)
チェロの音は大好きだけれど、その大好きな音でさえ
私は聞き流してしまう可能性がある。
引っかかりをて
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やる側と見る側では 全然 チェックする項目の多さがちがいまんなぁ。
表現をすると云うのは それだけ複雑な構造物をモノにするちゅう事なんやろねぇ。
何だかよくわかるような気ぃしまっせ♪
ピアノ教えたらてぇ、とある先生に勧められやしたが、音楽はねぇ…正規教育受け取らんしねぇ…もし お子さん達に教えるならば 音楽を含めて周辺の事を教えたいでやすねぇ。
もちろん、ピアノを教えるとなれば そうとう勉強せなあきまへんやろなぁ。
でも、一番大事なのは 違いとか変化とかに気が付く事。それが あらゆるもののスタートラインやと思いますねん。
そう、【感じる事!】
なにかを感じて発見する事。
次に その何かは なんなのかと正体に近づく事。つまり 考える事なんやないやろか…
そんなプロセスの追体験が でけたら ええやろなぁ♪
そないな事を 最近おもってまんのやねん! どろん…
表現をすると云うのは それだけ複雑な構造物をモノにするちゅう事なんやろねぇ。
何だかよくわかるような気ぃしまっせ♪
ピアノ教えたらてぇ、とある先生に勧められやしたが、音楽はねぇ…正規教育受け取らんしねぇ…もし お子さん達に教えるならば 音楽を含めて周辺の事を教えたいでやすねぇ。
もちろん、ピアノを教えるとなれば そうとう勉強せなあきまへんやろなぁ。
でも、一番大事なのは 違いとか変化とかに気が付く事。それが あらゆるもののスタートラインやと思いますねん。
そう、【感じる事!】
なにかを感じて発見する事。
次に その何かは なんなのかと正体に近づく事。つまり 考える事なんやないやろか…
そんなプロセスの追体験が でけたら ええやろなぁ♪
そないな事を 最近おもってまんのやねん! どろん…
bamamanさん こんばんわ
子供の頃からひとつのことを習ってきた人のことは
もちろんうらやましいです。
私は音楽関係だけでもパーカッション、エレクトーン、マンドリン、三線、
ヴァイオリンとやってきて、
どれひとつとしてものになっていない。
今まではそれを欠点としてだけ捕らえてきたけれど、
全部が私の原材料みたいなもので、そのひとつひとつがあって
今の私の価値観や感覚というものがあるんだろう、と
都合のいいように見るようにしています。
子供に何かを教えるとしたら、できるだけいろんな可能性を見せてあげたいですね。
私は子供や次の世代にしてあげられるのは環境を与えることだけで、
実は彼らは勝手に育つんじゃないかと思っているんです。
それ以上をできると思うことがすでに、思い上がりなんじゃないかと。
なるほど、追体験ですか。
自分が子供に戻ったつもりで試行錯誤してみたら、
案外もがき苦しむ過程も楽しめるかもしれませんね。
子供の頃からひとつのことを習ってきた人のことは
もちろんうらやましいです。
私は音楽関係だけでもパーカッション、エレクトーン、マンドリン、三線、
ヴァイオリンとやってきて、
どれひとつとしてものになっていない。
今まではそれを欠点としてだけ捕らえてきたけれど、
全部が私の原材料みたいなもので、そのひとつひとつがあって
今の私の価値観や感覚というものがあるんだろう、と
都合のいいように見るようにしています。
子供に何かを教えるとしたら、できるだけいろんな可能性を見せてあげたいですね。
私は子供や次の世代にしてあげられるのは環境を与えることだけで、
実は彼らは勝手に育つんじゃないかと思っているんです。
それ以上をできると思うことがすでに、思い上がりなんじゃないかと。
なるほど、追体験ですか。
自分が子供に戻ったつもりで試行錯誤してみたら、
案外もがき苦しむ過程も楽しめるかもしれませんね。
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2008-07-04 金 18:25:50 |
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